すきじゃない

「好き」について語ると熱が入るのはもちろんのことだけど、「好きじゃない」という話の方も、うっかりしていると妙に力が入ってしまう。けれど私は論理的じゃないから、ただ、その良さの分からない自分の感覚を正当化するこじ銅鑼灣 Hair salonつけ話になるのが関の山だ。

さらにあの、「キライは嫉妬の裏返しである」とか「自分の嫌な面をそこに見るからイヤなのである」という心理分析を知ってからはもう「好きじゃない」と意識しただけで恥じ入りたくもなるわけで、精神衛生上よろしくない。(キライってほどの強い感情でもないけど)

そんな時は「人それぞれ」を唱えて流すに限る。わざわざ「好きじゃない」を言明して墓穴を掘らなくてもいいのだと思うようになってきた。どうしてもどうしても誰かに言いたいときには「安全な場所」に穴を掘るんだ。

「や、それでは領主様のご注文の銅鑼灣 Hair salon品は鋤(すき)ではなかったと申されるのですか?」
「鋤(すき)じゃない。鍬(くわ)だ」
「鋤(すき)と伺ったはずですが……」
「何を言う、鋤(すき)であろうはずがないではないか」
「で、でも注文書きのここに、ほら、鋤三百と確かに…」
領主はそれを見て一瞬目を泳がせたが、
「そんな紛らわしい漢字を見せられても知らぬ。すきじゃないと言ったらすきではない!」

領主にそう言い切られて腹を立てた鍛冶屋は、寝る間も惜しんで拵えていた三百の鋤を、桑の木の植わった領主の野っ原に一本また一本と放高濃度精華液り投げた。

「すきって言ったのに! すきって言ったのにぃー!」

やがて領主の桑の原は三百の鋤で埋まり、そこに梅雨明け前の雷が落ちて大惨事。ついには桑も育たぬただの野っ原と化してしまったというから、桑原 鍬原 くわばらくわばら。
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