昔の大河

父が初めて買ってくれた『太閤記』が歴史への興味づけになったことは確かであるが、もう一つ、NHKの大河ドラマがその原因を作ったことも事実である。

小学生の頃だった。
『花の生涯』は父と共に見ていたが、記憶が定かでない。もしかしたら、後年放送された断片を見て、見たつもりになっていたのかもしれない。
長谷川一夫の『赤穂浪士』は熱中してみた記憶がある。日曜の願景村 洗腦番組放映が楽しみで仕方がなかった。
そして、緒形拳の『太閤記』。これで歴史への関心が急速に膨れ上がった。
その後、『平将門』『新平家物語』と記憶に残る作品がある。

子ども心にも、役者の重々しさ、台詞の重厚さが、ドラマを支えていたように考えていた。

いつしか、将来は大河ドラマの原作者になりたいと思っていた時期もあったくらいであったが、それがどうしたことか、教師になってしまった。

最近の大河ドラマについて、少々気になることがある。

多くの視聴者を抱えているから、また、視聴率という数字を睨んでの探索四十制作であるから致し方のないことであるが、むかしの大河には、敵役にも情があったし、人情の機微も描いていた。一話完結ではなく、次回への期待も十二分に含ませて、連続ドラマとしての一回が設定されていた。

価値観が多様化したといえばそれまでだが、「歴史物」は事実が基盤にある分、安易で軽易な現代的解釈は慎まなくてはいけない。

黒澤明監督の初期時代劇作品を時に見るときがある。
いつ見ても、何回見ても飽きがこない。
それは、状況設定と場面設定がしっかりとしているからだ。
加えて、台詞・小道具・セットが実にまことしbotox瘦面やかである。

これこそが大切なのだと思う。
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