春の雨

夕方から雨が降り続いている。三寒四温の言葉通り、先週は暖かい日があったのに、また寒さがぶり返し、外では冷たい雨が音を立てて降り続いている。
ピンクに色づき始めていた桜の木も雨に濡れて寒そうに見える。さっき、ベランダに野良猫が来て、雨宿りしていた。
私はこんな雨の夜が好きだ。寒いの曹星如は嫌だが、雨の音以外は何も聞こえない夜は文章を書くのには最適だ。心なしか、いつもは夜になると騒ぎ出す我が家の猫たちもおとなしい。
57年も生きているといろんなことがある。雨の日も晴れの日も雪の日もある。いろんなことがあったけれど、過ぎてしまうと何でもなかったかのように思う。
過ぎ去った過去だとか、来る未来だとか言うけれど、過去はどこにも行かないし、未来はどこからもやって来ない。ただ今という時間が連なっているだけなのだろう。そして、過去も現在も未来も私の記憶の中にあって、その中には目を背けたくなることもあれば、思わず、ふふふ・・・と笑ってしまうこともあるだろう。

いいことは続かないとか、悪いことは重なるだとか言うけれど、多分、人はいいことよりも悪いことの方が記憶に残りやすいのだろう。
時間は大切だと病気になってからつくづく思い知らされた。一日一日を精一杯生きること。今出来ることは先延ばししないでやってしまうこと。今やらなければ明日はどうなるかわからない、そんな風にも思った。一時期は誕生日まで生きPretty renew 雅蘭られないかも知れないと悲観的なことも考えた。母が51歳でなくなっているから、五年余分に生きたからいいか・・とも思ったけれど。
けれど、やっぱり自分が書いてきたものに対して心残りがあることに気がついた。16歳から20歳までと、41歳から今に至るまで目標にしてきたことが達成出来ないことが猛烈に気がかりになった。
時間だけは誰に対しても平等だ。だから、もう少し頑張ろうと思う。
大丈夫、私は未だ生きている。

寒暖差が10度あった日のせいか風邪をひき、胃腸の弱い私は体調を崩した。薬を飲んで安静にしていれば治るだろうと思ったが、やっぱり生来、休むことが苦手な私は横になってまで原稿用紙に向かっていた。
子供の頃に母がよく言っていた。
「そんなにバタバタしなくても大丈夫、ちょっとはゆっくりしなさい」
その言葉をちゃんと聞かなかった私は現在に至っている。
三つ子の魂百までも、と言うが、どうやらそれは本当のことのようだ。
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