見かけは優雅で

なにもなければ無事一日が過ぎるが、なにか少しでもあると、一日一日の生活にも困るほど、
お金がカツカツにない人がいる。
毎日、毎日、綱渡りをしているような生活である。
何事もないことが前提で、何かあったら、そこで、おしまい。暗転。
病気でもしようものなら、たちまちに医療費の捻出ができない。
そういう人は、案外、多いのかも知れない。

いかにもそう見える人なら、街でも見かけたりする。
(あるいは、ほんとうに大変な人は、街には出ないで自宅におられることだろう)

見かけは優雅で、まったく苦しそうでもない人が、意外に、お金がない。このギャップ。

パリでは、街角の角、角に、物乞いがいた。
若くてキレイなおねえさんだったり、若い健康的な男性だったり、あっけらかんとしていて、悲壮感はなかった。
地下鉄通路には、額を人々が歩き通り過ぎる地面にこすりつけ、土下座をもっとハードにした格好で、身動きせず、
長時間、物乞いする、立派な体格の中年男性もいた。
あのポーズを持続するのは、けっこう、体力がいると感じた。

お正月にいくつか見たテレビ番組のパリの特集では、どれもこれも、グルメや芸術だった。
パリの乞食、これはあまり報道されているのを見たことがないが、なせなのだろう。

ロシアでは、乞食の地下組織があるそうだ。
乞食スタッフとして動員されるのは、子供、赤ん坊を抱いた母親、四肢にハンディキャップのある人・・・。
実際、サンクトペテルブルグの有名な観光地では、
小学生たちが団体旅行で訪れているところに、車椅子に座った、小学生が入り口で物乞いをしていた。
お互い、同じ年頃。
わたしは、複雑な心境で、どう感じていいのか、戸惑った。
政府や市民団体などは、そういう現状は、見て見ぬふりなのだろうか。
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