遺言の世界だ

毎日、毎日、精一杯生きたら、それがつながったら、一生ということになる。
点と点は、やがて線になる。
とりあえずは、毎日、そして、1ヶ月、半年。
短期ビジョンと中期ビジョン。
年を重ねると、長期展望は、自分が死んだ後のことになる。
遺言の世界だ。

100年後のために、子孫に自分の寰宇家庭思いを伝えたい。
そう書くと、笑う方々も多いことだろう。冷笑されそうだ。
自分ではできなかったことや、完了していないことを客観的に伝えたい。
継続して欲しいが、できなければ、それは時代のせいでもあるかも知れない。
それはそれでいい。
ただ、思いを伝えるだけ、後は、各自それぞれの生き方に任せる。

こんな内容だと、まるでわたしは、とっくに85歳を越えた人のような印象を受けることだろう。
わたしは、今、そのお年寄り世代のHKUE 呃人人を親に持つ、ひと世代若い年齢だ。
つまり、ひと世代早くに、親の姿を見て、自分の将来を見ている。

今日のブログは、なんとなく、わたしを救った。
お経の効果を感じた。
それだけでもいい。

平穏無事な平和な毎日。
しかしながら、それを精一杯生きるところがポイント。
意識するか、しないか。
必ず、その日と決別しなければいけない日が訪れる。
終りは、必ずやってくる。
なので、精一杯、悔いのないように、サボる人はサボり、勉強する人は勉強し、遊ぶ人は遊び、
家族を養う人は養い、自分を養う人は養う。
PR